幼少の頃からクルマが大好き!それが大澤章!
■いつもクルマに囲まれた幼少時代だったので、自然にクルマに興味を持ってました
私は1975年に大阪で生まれました。その頃は父が商売をしていて、たくさんのクルマ好きやマニアの方々が父の会社に集まっていて、小さな私はいつもオッチャンたちの助手席に乗せてもらい、よくドライブに連れて行ってもらっていました。だから必然的に興味の対象はクルマだったんです。
5歳の頃になると、町中で走っているクルマの車種は100%当てるくらいになっていました。夜、うっすら光るテールランプの形からも車種を当てる天才坊やだったのです(笑)
いつかはクルマ関係の仕事に!
その後、私は姫路に引っ越してきたのですが小学生になってもクルマの興味は薄れることがなく、どんどんクルマにのめり込んでいきました。
また、私は泳ぐことが大好きで、小学生のころからどんどん実力を上げていき、このあたりではちょっと知られている有名なスイマーでもあったのです(笑)
高校へは水泳をやりたくて市川高校に進みました。もちろん水泳をやりながらも「将来はクルマの整備がしたい。いや絶対整備士になるぞ!」と夢を思い抱きながら高校へ通っていました。20歳代の前半で自分の店を持つのが夢だったのです。
普通自動車から大型トラックまでなんでも整備出来るようになるのが目標でした
両親は私の夢の実現のために、整備士の専門学校へ通わせたかったのですが、私は20歳代の前半での独立の夢を実現するには、専門学校は遠回りになってしまうと考えました(笑)
だから、高校を卒業していすゞに就職したのです。当時のいすゞは普通乗用車からRVからトラックにディーゼル車やらありとあらゆる車種を取り扱っていましたので、私にとって一番勉強になったのです。
私は夢の実現のために、どんなことでも勉強し吸収していきました。しかしいつの間にか夢の20代前半での独立は叶いませんでした(笑)
しかし、20代も後半に突入、会社ではすっかり中堅どころになった私に上司は難しい商用車の整備ばかり担当させることになりました。私は若手の教育もする立場であったので、もっと若手にも難しい商用車を勉強してもらいたいとの思いもあったのですが、上司からは「お前がやったら一番早くて正確やから、お客さまにも喜ばれるんや!」との理由から任されていました。嬉しい反面、後輩を育てたい自分としては複雑な思いでもありました。
それなら、お客さんも今なら自分にたくさん付いてくれているし、独立するために貯めてきた貯金もある。独立して自分の城を持つには今しかない!と思い切っていすゞのディーラーを退職しました。29歳の頃です。
「損して得を取れ」いつか絶対にやってやる。

現実を突き付けられたのです!明けても暮れてもお客さんは全然来てくれません。本当に焦りました。腕には自信があるのにいったい自分のどこが悪いのか?自問自答もしました。
お客さんは私にではなく「いすゞという看板」に付いていたと気づかされました。でも私はくよくよしていても仕方ないので、すぐに動きました。家族・兄弟・親戚・友達などありとあらゆるネットワークを使い、紹介をしてもらったのです。「オイル交換だけでもさせてもらえませんか?」と何度も足を運んで営業にも行きました。
ちょうど時期を同じくしてちまたでは「VIPカー」が流行っていました。私は家族を喰わせていくためにも仕事を選ばずなんだってしました。商用車よりもVIPカーのドレスアップや改造でじゃんじゃん売上を上げていけるようになったのです。でも、少々余裕が出来るとまた自問自答をすることになったのです(笑)「俺はVIPカーをやりたかったのかな?」と。
今までいすゞで培ってきたノウハウや技術はVIPカーでも活かせるのですが、それを最大限に発揮させ、どこの整備工場にも負けないスタイルを確立するためには「商用車整備専門店」をやりことだったと気づいたのです。
そこからは、また飛び込み営業や紹介で地道に活動をしました。コピーした手書きのチラシを配りながら、ようやくヘッドライトの球切れの交換作業の依頼を受けました!お客様の会社まで出張してヘッドライトの球を交換。1500円の仕事でした。でも嬉しかったのです。
クチコミでどんどん広がってきました!!
利益の出ない仕事でも喜んで引き受けました。その積み重ねがいつか返ってくると信じていたからです。
オイル交換もいまだに私は工賃も取らずにオイルの実費だけでやっています(笑)
学生時代に誰が言ってたのか覚えていないのですが「損して得を取れ」の言葉をずっと忘れずにいたから今までやれてたのだと気づきました。
私はお客様の為になることなら、自動車に関係しないことだってやってきました。同じ球の交換でも自宅の部屋の電球だって交換しに走ったこともあります(笑)
その精神がいずれお客様に伝わり、またクチコミによってどんどんお客様が来てくれるようになりました。
このスタンスを変えるつもりはありません!!
今でも「まずはお客様が喜ぶことをしたい」というスタンスでやっていますので、正直そんなに利益が出ていません(笑)
でも、逆の立場で考えてみてください。
自分自身も利益など考えずにとことんサービスを受けてしまったら、いつか絶対にその人にお返しがしたいと考えます。もしかしたらそうじゃない人もいるかもしれませんが、私はそんな考えです。
世の中持ちつ持たれつだと思います。どんなにインターネットが発達しても、どんなにデジタル化されようとも、私たちは人と人との繋がりで生きています。人と人はいくらメールでやりとりしようともアナログです。
人の気持ちを考え、どうすれば喜んでくれるかな?どうすれば次も私を選んでくれるかな?そんな営業スタイルがお客様に支持されていると考えています。決して口が上手ではありませんが、お客様の心に響くサービスを続けることがオートガレージ・タイヨーの特徴です。
もちろん商用車&営業車の専門店として認識していただくのは大変光栄なことだと感じております。そしてお客様に頼りにされる整備工場であり続けたい!お客様のカーライフのすべてのバックアップ体制を整えていきたいという思いでいっぱいでございます。
「困ったときのタイヨー」とまで呼んでいただけるように日々精進していきます。今後も少しでもお客様のプラスになることがあればなんでもチャレンジしていきたいと思います。そして営業車でも自家用車でも愛車のことでお困りごとがあれば、どんなことでも相談に乗れるように、日々努力を惜しむことなく、技術の向上に努めて参ります。